お 話 の 追 加

南風の強い夜


 子供の頃から師匠に碁を習い、既に師匠より強くなっためぐ君が、碁仲間の数人に結婚披露宴の招待状を持ってき、近くの酒場でお祝会をすることになった。

 師匠をはじめ碁仲間は、彼の馴れ初めを肴にして飲みながら、
「どこで釣った」
「おい、もう手をつけたのか」などと勝手なことを言っている。
「実は、僕は”出きっちゃった婚だ”」との話に、皆は「碁が強いだけでなく、女にも強いんだな」などと冷やかす。師匠は、「出来ちゃった婚」の意味が判らなかったのか、
「出来ちゃった婚て、何だ」
「子供が出来たから仕方なく結婚することだ」と誰かの回答に
「それじゃ、俺と同じだな」と、ぽろりと口を滑らせてしまった。もう、遅い。 今度は師匠を冷やかしだした。師匠は、しばらく罰が悪そうに聞いていたが,
「うるせなー。俺はこの歳まで女は知らねー」
「おかしいな。3人も子供が居るではないか」
「あれは、師匠の子供ではなかったのか」などと、酔いも手伝って困らせる。
「いや、俺の子に間違いない。ただ、南風の強い夜、枕元を歩いたら出来たのだ。」
「南風の強い、生暖かい夜にか」
「そうだ。風に揺られて、おしべが雌しべになびいてしまっただけだ。今日の主役は俺ではない。めぐ、結婚式には出るからな」と、師匠は巧く話をそらした。

 めぐ君は、「師匠には芸の1つでもお願いしようと思っているからよろしく」と言うと、師匠は「わかった。歌でも歌うか」と答えたので、「話がこれ以上落ちなくて良かった」と思いながら仲間の会話を聞いていた私は、「歌より、講談にしな」と言うと、師匠は「そうするか、それじゃ、今から練習だ。」と、愛宕山の三馬??を始めた。

赤い車


 私は、車が欲しくなった。運転免許証は、20歳頃にとってはあったが、東京生活では、車の必要性も感じないためにペーパードライバーのままである。住宅ローンの支払いも苦にならなくなった頃、碁会所で私の相手は、長考している私に退屈したのか、「新車を買ったから今度ドライブでもしよう」と誘ってきた。碁打ちは不思議な人種で碁を打っていればご機嫌であり、相手が、社長であろうが、無職であろうが関係なく、余り個人的な話をしない。私は聞き流しながら、「私も車が欲しいな」とつぶやくと、傍らで碁を打っていた師匠が、「おふみ、俺の家の赤い車をあげようか」と、会話に割り込んできた。

「本当?。本気にしちゃうよ。お嫁さんの車なの」
「いや、いつでも取りに来い。沢山あるから好きなだけ持っていって良いぞ」
「お孫さんのおもちゃの車ではだめよ」
「おもちゃでは無い。俺の家の赤い車は、人にあげてもあげても減らない車だ」
「え!」と考え込んでいると、
「鈍い奴だな、我が家の車は”火の車”だ」
「そんな車いらないよ」
 私の碁の相手は、この会話を聞いて「また、師匠に一杯食わされたな、おふみさんは単純だからなー。すぐ騙される。おふみさん119番でもしてやれ」と、助け船をだしてくれたが、師匠も負けてはいない。
「車は、いろいろあるぞ、こいつの口車に乗るなよ」
「口車には乗らないけど、新車には乗るよ。男の人にドライブを誘われるなんて何年振りだもの。この喜びを無駄にすることないよねー」と、言う私の話には、師匠は、何も言わずに、自分の碁を続けた。

 碁を数局打った後、「席亭、今日はこれで帰ります」と挨拶する私に、「おふみ、帰るのか、外は暗いぞ。甘い言葉と暗い道に気をつけろよ」と、師匠は声をかけた。
「はいー、気をつけまーす。じゃまた」 私は、碁会所を出た。


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